変態、サナギが蝶に変わるほうの。

卒業から入社まで慌ただしくやっと落ち着いてホテルの部屋でMacBookに向かっています。
仙台駅のホームでぼんやり新幹線を待っていた時も、人生の節目とセットでやってくるはずの哀愁や名残惜しさとか、一方で新生活への心躍るほどの期待があるわけでもなく、引っ越しの残り作業なんだっけとかそんな事を考えていた。ぼんやり。

入社式が終わってバスで愛知県某市に来て、社会人とは??というある意味ありふれた研修を緊張しながら10日間こなして、同期と飲み会なんかして誰が、どんな奴かとか分かってきて、ふと感じる。学生生活は終わってしまっていて、オレもう社会人なんじゃね??って実感が湧いてきた。当然なんだけど、実感は遅れてやってくる。

「はじまっている」という事と、「はじまりのおわり」はすぐやってきそうだという事。
知らず知らずのうちに見えない階段を上っていて、
不意に「準備はできましたね。はい、どうぞ。」
そこが絞首台になるのか、飛躍する場所になるのかは「はじまり」が終わるその時に決まる、
そんな感じの事を聞かされたっけ。

入社した会社は自分を活かせる場所だから、離職なんて微塵も思わない。だからサナギのうちに準備はしなくちゃなんねえ。

直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。梅田望夫

My Life Between Silicon Valley and Japan

 何も自分の知識を誇る必要はない。
 勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。
 覚えるということが大事なのではなくて、
 大事なのは、カルチベートされるということなんだ。
 カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記していることではなくて、
 心を広く持つということなんだ。
 つまり、愛するということを知ることだ。
 学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。
 学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。
 けれども、全部忘れてしまっても、
 その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものなんだ。
 これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。
 そうして、その学問を、生活に無理に役立てようとあせってはいかん。
 ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!
太宰治 「正義と微笑」

まだまだ完成しちゃいないから
最後に必要なのは信念だね。