早起きは三文の得

ちょっと眠れないので書く。
先週から意識して朝方の生活をはじめてみた。本格的に研究室も動きだしたので六時くらいに起きる生活を一週間続けてみた。これまで自分の人生の三割以上を占めてきた睡眠は三度の飯より好きだけど、もういい加減寝るのに飽きたかな、という心境。6時にベットをでて食事して風呂入ってからストレッチしてゆっくり2時間してから家をでる。それでも研究室には一番乗り。朝の方が断然作業効率がいい。深夜の実験よりも頭がスッキリしているし、人が居なくて静かで本や論文を読むのに最適。そして、実験機器が空いている。機器が空くまで待って後日に実験を先延ばしにする事も無いし、たった数時間早く起きるだけで、研究室に居る時間あたりの生産性がかなり向上する気がする。昼飯食った後が一番眠くなるんだけど、その時間はみんなのコアタイムなので思い切って軽く寝てしまう。15分くらい寝て頭スッキリさせてから作業再開。遅くとも10時には帰宅して夜更かししないで腹筋100回してから日付変わる前にベットに入る。意外と疲れてるし、知らないうちに寝てしまう。こうやって一週間早寝早起きを繰り返し、太陽の光を浴びて体のリズムも修正されてきたみたい。夜明け前後には目が覚める。うん、これはいい流れ。ただこれをひたすら繰り返すのは退屈なので、これまでどおり空いた時間に適当に遊ぶつもり。

たかが早起き。些細な事だけど、良いアウトプットをする為の準備であり、マイナスになる事はなんにも無い。って思えば、モチベーションも上がるし、実際の作業も昼過ぎに起きて深夜遅くまで実験していた時期と比較して効率は早起きした方がかなり高い、かな。

成果を出す為に必要な要領の良さは努力の方向の正しさから生まれると思う。「要領の良さ」は実質8割しかないものを10割に見えるように誤摩化す場当たり的なずる賢さとかはったりの技法ではなく、時間や労力のやりくりの巧さによって費やしたコスト以上の価値を生み出す巧みさの事ね。努力は100%成果に還元されない事も有るって気づいてる。むしろ最小限のコスト(労力)で成果を出すように努力する事が重要だと思う。ただ単純に時間をかけたから良いものが出来るってまだ信じている人がいる。そんな人に限って生活のちょっとした工夫、例えば早起きという努力を小馬鹿にしている節がある。しかも自尊心が高くて自分はまだ「できる子」って信じている。そういう人より自分はあれこれ工夫をしてるつもりだし(上手くかない時もあるけど)。苦労している人はみんなに平等な苦労を求める前に、もっと努力の方向性を模索すればいい。
こんな事放言できるのは、自分の周りに多くいるリア充に対してだけ。本当にデッドラインぎりぎりで苦しんでる人にお前努力足りないよ、なんて言えない。ワープアとかオーバードクター問題は自己責任論では解決できない。少なくとも自分の周りに本当の意味でデッドライン上で戦っている人(自分も含めて)は居ない。

ちょっと今年はハードな一年になるからな。知らぬ間に挫けそうなので、まだまだぬるま湯の自分に早起きと努力の正当性を訴えて明日もちゃんと起きたい。明日も朝日がみれたら良いな。